先週の日曜は近所の子たちを連れて、海水浴にいってきました。今年はこれで2回目の海水浴。じつは先月も子どもたちと私の母を連れて海水浴にいったのでした。
春日市周辺は住宅地なのでほとんど自然がありません。あるのはアスファルトとRC造のマンションばかり。なので定期的につとめて子どもたちを自然に触れさせていかなければならないと思っています。それにうちの母も海で育ったのでたまには海の波の音も聞きたいだろうと一緒につれていきました。
ほんとうは川に行く予定だったんです。でも、いざ目的の川についてみると「スズメバチの巣があるため通行止め」という看板があり、立ち入れませんでした。そこで急きょ海水浴に変更したわけです。
自然とは優しくも厳しい母親のようですね。生きるために必要なものをすべて与えてくれます。都市や街で生活すると、動物としての勘が狂う気がします。自分のなかにある自然治癒力も鈍くなるような気がします。
砂浜に素足をつけたり、砂の中に埋めると大地からパワーも貰えるような気がします。海に全身をつけて、波に揺られながらぷかぷか浮かぶと、海水から生命のエキスを、太陽からはエネルギーをもらっているような気になります。そして、自分の身体からは悪い毒素を排出しているような感じになります。ぜんぶここでは「気がします」とか「感じがします」と書いてますが、たぶん本当にもらってるんでしょうね。脳は現実と仮想の区別がつきません。なのでそう思えば、思ったとおりの効果が得られます。
こどもたちに必要なのは学校の勉強でも塾でも部活でも習い事でもなく、ただ自然の中で遊ぶことなんじゃないかなぁって思います。そうすれば、動物としての正しい直観力が養われ、日本や世界中でおこっている不穏な動きや嘘にだまされない人間に育つと思います。まぁ、実際には両方必要でしょうけどね。学校で習うような論理的で左脳的な判断力と、自然で学ぶような直観的で右脳的な判断力の両方が。まっ、今後、より必要になってくるのは後者のほうでしょうね。
さて、ヨガはどちらに属しているでしょうか?左脳的?右脳的?
左脳的 ⇔ 右脳的
具体的 ⇔ 抽象的
部分的 ⇔ 全体的
一般的 ⇔ 汎用的
論理的 ⇔ 直観的
西洋的 ⇔ 東洋的
二元論 ⇔ 非二元論
絶対的 ⇔ 相対的
一神教 ⇔ 多神教
答えは、いっけん右脳的な感じがしますよね。でも、これは私が考える答えなんですけど、ヨガの本願は、右と左を行ったり来たりする、波動的な分布をしめすと私は考えています。空性を示していると。
いやいや、ズルいですねぇ。ヨガはズルい。チートだ。
そう、だからヨガをやるということは、やってない人に比べて優位性がある。
だってそもそもヨガじたいがズルだから。
真面目に生きているひとが、得られないものが得られる。
ライフハックしてるといえる。
だから密教でありタントリックなのだ。
ヨガの奥義は秘密なのだ。
反対の賛成なのだ
自然遊びはアーシングだ✨