私のヨガに対する考え

全国津々浦々、いろいろなところでヨガ教室やスタジオ、サークルが開催され、様々な先生のもと老若男女の生徒さんたちが日々練習をしています。その一人ひとりの先生や生徒さんたちにとって、それぞれヨガの定義や目的、教え方、考え方、動機など全く違うと思います。私はいろいろなヨガの在り方があっていいと思ってますし、どれが正しくてどれが間違っているなんてこともないと思っています。

ただ、ある程度、ヨガを教える先生にはその先生自身のヨガ哲学みたいなものがあったほうがいいと思ってます。そして、その先生のレッスンやプラクティスには、その先生の人生経験や考え、哲学がある程度反映されたものであると思います。

重ねて言いますが、そこに正しいとか正しくないというのはなく、ただ先生の数だけヨガのクラスがあるということです。

生徒から人気があるから正しいとかじゃないし、みんなからの支持が得られなくても奥深く哲学的背景がしっかりしているものや本質をついているものもあると思います。

というのも、古く伝統的なヨガが、現代のスタイリッシュでビジネスライクなヨガに通っているひとたちに支持されるとはとても思えないからです。

たしか、ダレン先生もティーチャートレーニングのときにそういった話をしていたように思います。自分自身のヨガの進む方向性とみんなが先生に求めているヨガの方向性が違うことだってある。先生本人にとってのヨガ修行が進んだことが、かえって生徒がはなれてしまった話を聞いたような気がする。

私にとってのヨガって何なのか?

いや、みんなにとってはそれはどうでもいいことだよね。だって、ほとんどのひとは、ダイエットとか健康目的でヨガ(ポーズ)をエクササイズをやってるはずだから。私もヨガを始めた最初の動機はそうだったし。

私は、ダイエットからヨガに入り、ヨガの様々な疾患を改善したり予防したりする効果に気づいてからは、ダイエットから運動療法(セラピー)的側面に変化した。まぁ、職業的には必然な流れだよね。

私の場合はさらにそこから、運動療法の枠にはおさまりきれないスピリチュアル的な側面に向かうことになる。その時点で、運動療法を理論的に支える西洋医学(解剖学、生理学、運動学)が邪魔となり、代わって仏教やアーユルヴェーダ、気功、中医などの東洋哲学が相性が良いとわかり、うまく整合性をつけようと補完することになります。しかし、おそらくこれは世間一般とは逆行した流れになる。なぜかというと、世間はいわゆるEBMみたいな根拠を求めてるから。でも、それは西洋哲学的な発想であって、ヨガの目的や練習には全く関係ないと思ってる。また、日本では1980年代末期からある事件をきっかけにスピリチュアルが悪者になるという経緯があったので、そっち方面を前面におしだすと生徒が引く。ヨガアワーでいうと「AUM」は嫌な人もいると思う。でも、私はあえて唱えるけどね♪

タブーは言いたい。裸の王様は裸。

根拠がなくても良いものは良い。
たとえ、政府が主導しても邪悪なものは邪悪。

ヨガと科学を結びつけるときは、西洋医学みたいな時代遅れの疑似科学ではなく、量子力学や認知科学、情報科学、言語学のほうがあってると思う。論理や統計は何かを判断するための便利なツールではあるが騙しの手段にも用いられるのことも多いので信じすぎず注意することが必要。それで今回は業界のなかでもほとんどの人が騙された。

で、結論。

どういう、考えでも良いから、練習しましょう♪

みなさんがやってるポーズの練習は、ヨガとしてはまだまだ浅い入口みたいなものでありますが、それでも日常生活で何もしないよりは、ずいぶんと健康に幸せに暮らすことができると思います。そんで、ポーズの練習を長く続けていけば、もしかしたら、ある日、物質的なものや身体的なもの以外のものに気づくことがあるかもしれません。

いまやっているヨガの練習がじつは氷山の一角であるとしたら、それってすごく魅力的なものじゃないですか?まだまだ知らない奥深い未踏の場所があるって!ワクワクするに決まってんじゃん!

それはスマホゲームよりも面白く、テレビよりもリアリティがあり、スポーツよりも熱狂がある。それでいて呼吸は微細。心は静寂。